最近めっきりお堅い感じのブログ?になってきたので今回はゆるくちょっと昔の出来事を書いてみるとしよう
実は結構前にここパラワン島の路上であるモノを売っていたことがある私
それがこれ…
しかしこれが完全なる黒歴史…
最近ブログではコロナ対策がどうとか、南シナ海の領土問題がどうとかいろいろ社会派ぶって書いているが、今回のこの話はかなり低レベルなので「こいつバカなの?」と温かい目?でここから読み進めてもらいたい…。。
話を戻すと、当時たまたまニュースを流し見していたらフィリピンのどこかで日本人の誰かがオムライスを路上販売していたというのを目にした
今はもうあやふやな記憶なのでその人が「売っていた」のか「無料で配っていた」のか忘れたけどとにかくオムライスがフィリピン人にウケていたのだ
その時は私は旅行関係の仕事を始めたばかりでやることはいっぱいあってもお客さんがあまりいない時期、なので稼ぎも少なくちょっと将来が不安な毎日
なので手軽にサクッと何とかアレがアレになんないかなぁ…と甘ちゃんなことを考えていたところにこのニュース
オムライス…?
確かにフィリピンで見たことないな…
人気なんだ…
…
へぇ…
よし!
売ろうっ!
その辺で!(バカ)
これで1日数百ペソでも稼げたらラッキー!もし大人気になったらバンバン屋台作ってこの島の全土に進出!!そして最終的にジョリビーに吸収合併されて子会社の役員にでも収まろう!
なんてアホなことを考えてすぐ行動開始
まずは屋台が必要なので、知り合いの知り合いのフィリピン人に1,000ペソで中々素敵なものを作ってもらった。
写真が昔のスマホに入っていてもうないのが残念…
ちなみに第一号だけ1,000ペソで何とかしてもらい、人気爆発したら第二号屋台からはもっと高く買うからね、たいたい100台くらいは発注するからさ!とそそのかして結構ちゃんとしたものを作ってもらった。もちろん2台目を注文することはなかったが…
そして次はオムライスの試作。
もう日銭を稼ぐ目的だけのヨコシマな考えなのでこだわりゼロ。それにこの辺のフィリピン人の99.9%は食べたことがないので「普通のオムライス」であればいい。
市場で鶏肉、玉ねぎ、バター、バナナケチャップ、卵を買ってその辺の知り合いのフィリピン人達に試食してもらう。
マサラップ!とかみんな言ってくれて評判だったのだが、今になって思えばタダでオムライスが食べれるので美味いって言ってくれたに違いない…
そしてまだ値段すら決めてないのにフィリピン人達は「コレ売れるよ!イケるよ!」と大盛り上がり
そんなこんなでオムライスってもしかしてそんなにフィリピン人の口にあうのか?と勘違い。
一瞬店舗を借りてお店としてやろうかと考えたがやめて正解だった…汗
ということで何故か試食会に紛れ込んでいた初対面のフィリピン人の無職のおばさん(50代)をアシスタントに雇って屋台を開始!
この時はまだこのおばさん1号に振り回されるとは思ってもみなかった…
ちなみにもう時効なのでアレだが、路上販売うんぬんその他諸々の許可を一切取っていなかったし、その時はその辺の屋台の人達もみんなそんなの持っていないと勝手に思っていたのでそれ関係のものは一切なし。(反省…マネしちゃだめよ)
それはともかくオムライスの試食が終わった後は大事なのは場所。
一番人の多い島一番の市場の脇でやろうと思ったがなんか縄張りが複雑でよく分からず断念。
そこでちょっと町から離れてはいるが、島一番のまぁまぁ給料のいい巨大コールセンターの前をロックオン。
そこで夕方から働く若者をターゲットにすることにした。
看板とか調理器具とかいろいろ面倒な準備して初日。
全然知らないおばさん1号を伴って巨大コールセンターの前にドンと1,000ペソの屋台を置いた
果てして前評判?どおり売れるのか、それともダメなのか…というかこんなところで一体オレは何をやっているんだ?
そんな言葉に表せない変な感情でオムライス屋台は夕焼けで赤く染まる空の下で始まった
このOMUストーリーの続きはまた次回をお楽しみに…
【追記】続きはコチラ
【OMU物語 / 続編】いろんなヤツが出てきて消えた1号/ パラワン島
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