フィリピン最後の楽園パラワン島 日常編

日本と全然違う!そんなパラワン島での暮らし / 2017年~現在

【今の時代こそ】人間は考える葦であるべき / 一人コラム

 

よく考えること

今日はいつもと違う話

 

数字の罠

多数決の危険性と似ていて、多く支持されている物や人というだけで物事の是非を決めるのは危険な要素を含んでいます。また数の多さだけではなく、順位も同様です。

 

今は何かと、利用者数、フォロワー数、いいねの数、口コミ、検索順位、〇〇ランキングなどの数字が重視されて、その影響力も年々大きくなっていると思います。

 

個人的には少し度が過ぎていると思うのと同時に正直ちょっと辟易しています。

 

確かに具体的な数字はキャッチ―で人々の注目を集めるには有効ですが、自分で判断するという過程を数字だけを見て無意識にスキップしている人が多いと思うからです。

 

自分で判断する上で数字は参考になりますが絶対的な要素であってはならないと思います。ただ実際はあまりにも影響を受けすぎて数字を背景にした権威性の罠にはまっているのではないかと。

 

家族や友人などのよく知っている人が勧めるものはその人の性格や趣味嗜好をよく知っているので参考になることも多いと思いますが、それすら知らない赤の他人の場合は判断材料としては弱い気がします。

 

影響力

行列が行列を呼ぶのと同じで数は数を生み出します。SNSなどはその典型で、フォロアーが多ければ自然と人の目に触れる機会もあり、機会が多いので手軽に出来る「いいね」の数も増え、フォロワーも増えます。

 

一番難しいのは数字のパワーを得られるまでの初期段階なので、最初にフォロワーをお金で買って自分のアカウントをある程度の数字で取繕うという行為までする人がいるのだと思います。

 

口コミではネガティブな意見を書くという脅しで何らかの利益を得ようとする人や、逆によい口コミを書いてもらうのを条件に様々な便宜を図る人もいます。

 

私もサービス業なのでお客さんの満足度や評価はもちろん気になりますし、それは気にするべきだと思っています。ただ相手がどんな感想を持つかは相手次第です。

 

その時出来る精一杯のことをやったら後は相手がどう思うかは私のコントロール外のことになります。もちろん精一杯やればそれだけでいいということではなく、アドバイスは参考にして、自分でも改善出来る点を考えます。

 

もし数字のパワーを持った人がネットやSNSで私に関してネガティブな意見を言った場合は死活問題になります。最近は日本の飲食店でそんな事件がありましたね。

 

両者ともに言い分はあっていろいろ議論されていますが、最終的に営業出来なくなったという事実はただ残念です。

 

情報の精度

今の世の中は本当に情報で溢れています。インターネットでキーワード検索すれば何らかの検索結果が出てきます。そして検索順位の上位に出てくる情報はたくさんの人に読まれます。

 

ただ上位検索されている=内容が正しいとは限りません。日本ではGoogleの検索エンジンが独占状態ですが、その検索エンジンがいくら進化したからといって、難解な日本語で書かれた情報を正確に読み取り、かつそれが正しいという保障付きで検索結果を出すことは不可能です。

 

SEO最適化という言葉は有名ですが、これはこのような検索エンジン向けに最適化されたサイトの構造をしているという意味であって、極端に言うと同じ文章を書いてもサイトの構造によって検索エンジンの評価は違ってきます。

 

ただこの仕組みを否定している訳ではなく、最先端の技術を駆使して行われていることを考えると、これ以上の優秀なものは人間が一つ一つチェックする以外方法はないので、それが出来ない以上はこの方法が現時点では最善になります。

 

もちろんアルゴリズムも更新されますし、今後は機械学習ももっと進化していき、検索結果はより正確性を増すでしょう。

 

ただ今は自分自身で情報を鵜のみにするのではなく吟味する必要がまだ残っています。

 

経験

昔とある年上の知人に悩み事を相談したことがあります。その時私はいくつかの選択肢をもっていて、どれが最善なのか分からなかったのでアドバイスを貰いたかったのですが、その知人は明確な答えをくれることありませんでした。

 

理由は自分が経験していないから全て想像でしかない、分からないからということでした。しかしその人に相談したことは無駄ではありませんでした。なぜなら一番よい回答を貰ったからです。

 

確かに経験していないことについて言えることは〇〇らしいということくらいです。もちろん今までの経験が他のことにも役に立つことはあります。ただそうでない時もあります。

 

年下の私の前で知ったかぶってアレコレ言わないことは誠意があります。そして一見何の回答もしてないように見えますが、その悩みにアドバイスできるのは経験した人だけだという回答をしてくれています。

 

しばらく私はその知人の回答が頭から離れなかったのでよく考えました、その結果。最終的にこれは限りなく真理に近いと思うようになりました。

 

アドバイス出来るのは経験した人だけ、つまり経験者しか分からない、でも世の中には無数の助言で溢れている。その中で信用出来るものを判断しなければならないと思うようになりました。

 

考える葦

成功も失敗もそうですが自分で体験して経験しないと本当のところは分かりません。言葉にすると当たり前のことですがちゃんと理解する必要があると思います。

 

今はやってみなくても一見正しそうな答えがインターネット上に落ちています。ただそれを読んだだけでは自分の経験へと昇華させることは出来ません。

 

人を信じないとか疑い深くなるべきだということではなく、何か情報に触れた時に安易に信じ込まずに自分で考える習慣が必要だということです。得に今は誰でも簡単に情報発信できるので限られた人しか本などを出版できなかった時代よりもそれは大切です。

 

確か中学生くらいの時に学校の授業で17世紀にフランスのパスカルという有名な科学者の「人間は考える葦(あし)である」というフレーズを習いました。

 

パスカル写真

ブレーズ・パスカル

 

オリジナルの文はフランス語なので分からないのですが、英訳は「Man is a reed, the weakest of nature, but he is a thinking reed.」になります。

 

Reedは葦(あし)で、水辺に生える多年草らしく、ここでは自然界で最も弱いものとして形容されています。

 

パスカルは哲学者でもあるので、つまり、人間は葦のようにとても弱い、でも考えることが出来る葦である、なので弱くないということを言っているのです。

 

パスカルの言葉を使うと、もし人間が考えることを放棄した場合にはただの弱い葦になってしまいます。もしくは今の時代背景を加味すると知ったかぶりの葦となるかもしれません。

 

私も日々たくさんの情報に触れるので自戒の念を込めて今日はいつもと違うこんな話を書きました。

 

情報がすぐ手に入るのはとても便利でたくさんの恩恵があって、実際に時代を変えました。ただ自分で考えることを忘れると簡単に流されてしまう側面があるので注意が必要ですね。

 

おわり

 

 

 

 

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