このブログはフィリピンのパラワン島よりお届けしています。
フィリピンコロナ感染者の話
今日はフィリピンでコロナに感染した知人の50代のフィリピン人(Aさん・男性)から聞いた話を少し紹介します。
先に経緯を説明すると、Aさんはコロナパンデミックによってマニラで失業してしまい、家賃も払うことが出来なくなった為、今年の8月に実家のあるパラワン島に戻ることになりました。
マニラで帰郷の為の移動許可や健康診断などを受けて飛行機でパラワン島の空港に到着したのが8月末。
空港で感染判明
空港で乗客全員に対して強制的に行われるコロナ感染テストでAさんはなんと陽性結果がでて感染が判明、そしてそのままパラワン島の指定の隔離施設へ送られることに。
Aさん曰くマニラ首都圏に住んでいた時は、フィリピンのロックダウンが始まってからは仕事も無くなったので生活必需品を買いに外出するくらいで同居人以外とはほとんど会うことなく過ごしていたそう。
また発熱や咳、味覚などの一般的に言われているようなコロナ感染の症状が一切なかったので空港で陽性反応が出た時にはかなりビックリしたらしい。
その後は幸運にも重症化することもなく約1ヵ月間ほど指定の施設(民間ホテル)で隔離されて最終的に陰性結果が2回連続で出たので感染回復者となって隔離施設を出ることが出来た。
パラワン島に到着した人々
そもそも現在は一部の特例を除き、島以外から来た人は全員隔離施設で14日間過ごすことになっている。
その待遇が実は高級ホテルに無料で泊まれて食事まで出るという話は以前このブログにも書いたとおり。
ただAさんの場合は感染者となったので扱いは少し異なる。
感染者としての生活
隔離施設での1ヵ月もの生活を本人に聞いたところこんな感じだったそう。
- 老舗ホテルなので古いが部屋はまぁまぁ広い
- ドアは常に施錠され外部とのやりとりは全て小窓から
- ナースも部屋には入ってこない
- Wifiはフィリピンあるあるで使えない
- テレビも壊れていて映らない
- 洗濯物も洗ってもらえないので下着だけは小さなトイレで自分で手洗い部屋干し
- 食事は1日3回。料理は可もなく不可もなく
- 部屋から出て医師の検査を受けにAさんが廊下を歩く時、その通った廊下はすぐに業務用の機器でスプレー殺菌される光景を毎回目撃
- 退院することになったらナースの人達と記念写真(役所のFacebook用)
Aさん曰く、誰も自分に近づいてこなかった期間が長すぎて、退院する際の記念写真でナースが近づいてきた時にビックリしれしまったと言っていた。
この時代にWifiもなく、TVまで見れずにやる事がなさすぎて辛くて小窓からナースに相談したら、「独り言がいいよ」とアドバイスされて落ち込んだらしい…
こんな人生初の隔離生活を1ヵ月も過ごしたので、退院してからもすぐに人と接する元の生活にはなんだか怖くて戻れず、一週間追加で自分の部屋でセルフ隔離を行うほどに。
回復者として
セルフ隔離が終わってAさんの初めての外出先は近所のローカルショッピングモールだたらしいが、その建物の中の人混みをみて、万が一まだ自分にウイルスが残っていたら大変なことになると感じて眩暈と動悸がしたらしい。
コロナ感染者の個人情報は公開されないので、身近な家族か、本人が話す以外に広まることはないのだが、人は噂好きなので時間が経てばご近所さんで噂になる。
私はAさんとは2年前くらいからの知り合いで、相談事があったので本人から直接話を聞いたので事情をいろいろ知っているのだが、一番辛かったのはやることがなかった隔離期間じゃなくて、退院してからの近所の人の自分への接し方だったそう。
さらにまったく症状がなかったのにこんなことになったので、ちょっと訳が分からずパニックになった時期や、コロナで重症化して亡くなった人のニュースも知っていたのでいつ我が身がどうなるのか陽性結果が出てからしばらくはとても怖かったそう。
おわりに
最近電話して話を聞いてみたら元の精神状態と生活にだんだん戻りつつあるそうでひと安心。フィリピン全体では総感染者数が30万人以上いるが、ここパラワン島では300人程度なのでなかなか元感染者という人に出会うことはない。
無症状でコロナに感染して回復しても本人からするとなかなか大変なことだということが分かる話だった。
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